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※本記事は、YouTube(③福田ますみ著『国家の生贄』出版記念イベントに出席して④宗教マイノリティの理解増進の会に参加して。水田真道住職と中川晴久牧師との最後の対談)をもとに、内容を分かりやすく整理したものです。特定の宗教・個人を断定的に評価する意図はありません。
はじめに:12月26日「最終回」で語られた2つの体験
12月26日の最終回では、大きく2つの出来事が語られていました。
1つ目は、福田ますみさんの著書『国家の生贄』の出版記念イベントに出席した話。
そして2つ目が、「宗教マイノリティ理解増進を目指す会」に参加し、宗教者・信者が同じ場で言葉を交わした話です。
登場するのは、仏教の僧侶である水田真道住職と、キリスト教の中川晴久牧師。
お2人のやりとりは終始、軽妙さもありながら、「宗教の誤解をどうほどくか」「対話とは何か」を真正面から扱っていました。
この記事では、
を、できるだけ読みやすく整理していきます。

まず印象的だったのは、感想の一言目がそろって「楽しかった」だったことです。
イベントの席は主催者側の配慮もあり、登壇者・関係者の近くで参加できたようで、
水田住職と中川牧師が並んで座り、
「こそこそ話していたのを主催の方に突っ込まれる」
という、場の空気の温かさも語られていました。
対談の中では、会場がピリピリした議論の場ではなく、
「話していい」「関わっていい」空気を作っていたことが伝わります。
この“空気”は、宗教や社会問題のテーマを扱う場では実はとても重要です。
最初の緊張がほぐれると、人はようやく「自分の言葉」で話せるからです。
イベントの感想として、中川牧師が繰り返し話していたのが、
「距離感を測る」という感覚でした。
がいる場では、いきなり深い話題や強い表現を投げるのではなく、
まず軽く投げてみて、相手の反応で「ここまでなら大丈夫」を見極める。
これは人間関係の知恵として、とても現実的です。
一方で、対談では
「壁がない(受け止める余白がある)人がいると、こちらの警戒がほどける」
とも語られていました。
対話って、“言葉の上手さ”よりも、
受け止め方の柔らかさで深まることがあります。
イベントでは、福田ますみさんが最後に一言、強いメッセージを残した…という話も出てきます。
内容は、ここでは細部の断定は避けますが、
ポイントは
という問いを、場の空気に流されずに投げたこと。
ここで誤解しやすいのが、「戦う=怒鳴る、敵を叩く」という意味ではないことです。
対談でも、相手を傷つけたいからではなく、
言われっぱなしの構造を変えたい、という問題意識として語られていました。
ただし途中には、過激な例え話(暴力を連想させる表現)も登場します。
これは“例え”として語られている部分が多く、実際の行動を勧める趣旨ではありません。
私たち読者としては、
を切り分けて受け取るのが安全です。
後半の大きなテーマが、「宗教マイノリティ理解増進を目指す会」への参加です。
参加者として言及されていたのは、
など、普段は交わりにくい人たち。
水田住職は、
「深い内容を知らずに参加したけれど、実りが大きかった」
と語っていました。
対談で何度も出てきたのが、この考え方です。
分からないことが、不安の始まり。
これは宗教に限らず、人間関係でも同じです。
こういう流れは、誰にでも起きます。
だからこそ、「馴染む/馴染まない」を急いで決める前に、
“理解するために聞く”ことが大事だ、という話になっていきました。
水田住職が紹介していた印象深いフレーズが、
の違いです。
「宗教間対話」だと、教義と教義のぶつかり合いになりがち。
でも「宗教者間対話」だと、
“今ここ”の生活と心に近い言葉で話せる。
この視点は、読者にとっても大きなヒントになります。
会の中で紹介された話として、
「日本人は無宗教と言われるけれど、信仰はある」
という指摘が出てきます。
たしかに、
という行動は、多くの人に当てはまります。
さらに対談では、日本という国の成り立ちや文化の特殊性にも触れられていました。
信仰心のようなものはある。
でも、それが「ひとつの宗教に100%所属する形」に必ずしも収まらない。
この“あいまいさ”こそが、宗教を語るときの難しさであり、同時に日本の特徴でもあります。
水田住職が語った、仏教側の自己反省として印象的だったのがこの部分です。
という整理です。
一方で、住職は
「言わないで良いわけではない。言わなければならないことはある」
とも言っています。
ここが、宗教者の葛藤なのだと思います。
このバランスの難しさは、宗教に限らず、教育や子育て、職場のコミュニケーションにも似ています。
中川牧師は、キリスト教の語りについて、かなり率直に話していました。
だからこそ、宗教者対話では
自分の射程距離(生活の範囲)で起きた体験
を言葉にすることが大事だ、と。
この「射程距離」という言い方は、とても分かりやすいです。
読者としても、宗教の話を聞くときは
を意識すると、受け取り方が少し楽になります。
対談全体を通して感じるのは、
宗教者対話が目指しているのは、
「勝つこと」や「論破」ではなく、
理解の土台をそろえること
だという点です。
土台がそろっていないのに、上の議論(歴史観・政治観・正義)だけが先に走ると、
どんどん分断が深まる。
だからまずは、
を、低いところ(基礎)から確認する。
この考え方は、SNSで疲れてしまった人にも刺さるポイントだと思います。
12月26日の最終回で語られた体験は、
「宗教について語ること」の難しさと、
「それでも対話する価値」を同時に見せてくれました。
宗教は、近いようで遠いテーマです。
でも遠いからこそ、
「決めつける前に、まず聞く」
この姿勢が、いちばんの入口になるのだと思います。
宗教者や信者が、教義の優劣を決めるためではなく、互いの背景や言葉の意味を確認し合うような“対話”の場として語られていました。
対談でも「分からないことが不安を生む」と語られていました。まずは“納得する/しない”を決めずに、「そういう考え方がある」と理解するところからで十分です。
宗教と宗教(教義同士)をぶつけるより、宗教者同士が生活に近い言葉で話すほうが、共通点を見つけやすい、という趣旨でした。
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