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後藤望牧師が語る「パウロ」——ローマ書の読み方と“責める信仰”からの転換

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後藤望牧師パウロを語る

※本記事は、YouTube「中川TVチャンネル」の動画『後藤望牧師 パウロを語る』の文字起こし内容をもとに、会話の流れを崩さない範囲で読みやすく整理したまとめ記事です。宗教的な解釈にはさまざまな立場があるため、ここでは動画内で語られている主張として紹介します。

この記事でわかること(結論)
  • パウロが現代人に「わかりやすい」と言われる理由
  • パウロが最初から「神としてのキリスト」に出会った、という視点
  • ローマ書1章〜7章の“罪”の語りが、受け取り方によっては人を追い詰めること
  • 「責める(失跡法)」より「褒める(称賛法)」が人を動かす、という教育の話
  • “悔い改め一辺倒”ではなく、「イエスの側に立つ」ことの意味

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動画の概要:中川さん×サムソンさんの対談で「パウロ」を語る

動画は、中川TVチャンネルの中川さんがゲスト(呼称:サムソンさん)を迎え、パウロについて語ってもらう対談形式で進みます。

サムソンさんは、神学生時代からパウロに強い関心を持ち、研究や原稿も「1冊、2冊分ある」と語ります。ただ、考えが少しずつ変化していることもあり、出版は「まだ早い」と感じているとのこと。

この対談の面白さは、単なる「パウロすごい」で終わらず、
“どう受け取ると、人を生かし、どう受け取ると、人を潰すのか”
という、かなり実践的な視点まで踏み込むところにあります。


なぜパウロは「現代人に刺さる」のか?——ギリシャ的・論理的な言葉

サムソンさんは、「パウロが重く用いられてきた理由」として、まず言葉の性質を挙げます。

  • ヘブライ的な言葉(たとえ、比喩、情緒が濃い)
  • ギリシャ的な言葉(客観的、論理的、分析的)

パウロはギリシャ文化圏の言葉で語るため、現代の私たちが読んでも理解しやすい。
さらに、その言語がローマを通じてヨーロッパ、そして世界に広がった歴史の上に、今の私たちの言語感覚がある。

だからパウロの文章は、現代の読者に「スッと入る」。
ここが、パウロが読み続けられる大きな理由だというのです。


パウロは最初から「神としてのキリスト」に出会った

動画で印象的なのが、12弟子との対比です。

  • 12弟子は「人としてのイエス」と共に過ごした
  • パウロは回心の体験から、最初から「神としてのキリスト」に出会った

12弟子は3年半、日常の中でイエスと共に歩みます。だからこそ、最後まで「主なる神への信仰」へ立ち戻れ、と語られる場面がある。

一方パウロは、出会いの入口が違う。
最初から“神としてのキリスト”に出会っている。

サムソンさんは、コリント第二の手紙にある「14年前に第三の天(パラダイス)に上げられた」という記述にも触れ、
パウロの強烈なキリスト理解は、体験の深さを前提にすると説明がつく
という見方を示します。


ここが重要:パウロが間違いではなく「受け取り方」が問題になる

対談では、パウロへの評価は一貫して高いです。
「パウロは素晴らしい」「間違っていない」。

ただし同時に、こう言います。

受け取り方を間違えると、人を追い詰める。

その代表例として挙げられるのが、ローマ書の読み方です。


ローマ書1章〜7章:延々と“罪”を語る構成が持つ危うさ

サムソンさんは、ローマ書の冒頭からの流れに注目します。

  • 1章から7章まで、人の罪について長く語る
  • 8章から雰囲気が変わる(希望、解放へ)

この構成について、「指導の方法としては最もやってはいけないやり方」とまで言い切ります。

なぜか。
それは、人を導くときに「責めること」から入ってしまうからです。

ここで出てくるキーワードが、

  • 叱責法(しっせきほう):叱る/責めることから始める
  • 称賛法(しょうさんほう):まず褒めて、伸びしろを少しだけ伝える

という教育・指導の話です。

「正論」をぶつけても、人は動かない

動画の中では、かなりハッキリ言われます。

  • パウロが語ることは「正しい」
  • でも、人間は「正しさ」だけでは動かない

「お前が悪い」「罪だ」「間違っている」と言われ続けたら、心は閉じていく。
そして人は、正しい話ほど「うるさいな」と感じてしまう。

その理由として語られるのが、私たちの中のプライドです。

人にはプライドという厄介なものがある。正論だけでは、そのプライドが反発する。


「悔い改めて救われた」は、聖書全体で見ると多くない?という問題提起

対談では、プロテスタントの伝統として「まず悔い改め」「罪を悔い改めよ」が強く語られてきた流れにも触れます。

しかし、サムソンさんはこう問いかけます。

罪を悔い改めて救われた、と聖書のどこに書いてある?

そして、旧約の限られた例に触れながら、
新約では「泣きつく、頼る、すがる」——それだけで「助けてあげる」と言われている場面が多い、という見方を示します。

ここで中心に置かれるのが、アブラハムの話です。

アブラハムは何で義とされたのか

アブラハムが「信仰の父」と呼ばれるのは、
立派な行いをしたからではなく、

  • 神の言葉を信じた

それだけだ、という主張が語られます。

さらに、アブラハムにも問題のある行動があった(たとえば妻を妹と言った)ことに触れ、
それでも「信じた」ことが中心に置かれている点を強調します。

この流れは、
「完璧になってから神に近づく」のではなく、
「助けてください」と近づくことが入口なのだ、というメッセージにつながっていきます。


イエスは“人のプライド”を前提にして包んだ

対談の中で、イエスの姿として繰り返されるのはこのイメージです。

  • 人間がプライドを持っていることを分かった上で
  • 「助けてください」と来た人を包む
  • まず「反省したか?」とは聞かない

「私が助けてあげよう」
この姿勢こそが、愛の力だと語られます。

だから結論は、こうなります。

間違えないでください。キリストの側に立てばいい。

「悔い改め」が間違いではない。
ただ、それ“だけ”になってしまうと、伝わるものが変わってしまう。


日本人は本当は「愛し合いなさい」を自然にやってきた?——3.11の例

後半で語られるのが、日本人の感覚とキリスト教の関係です。

イエスの命令として挙げられるのは2つ。

  • 伝えなさい
  • 愛し合いなさい

サムソンさんは、3.11(東日本大震災)のときの人々の行動を例に、
「日本人は助け合い、秩序を守り、子どもや高齢者を押しのけない」
そうした姿が自然にできていた、と語ります。

ここから導かれる主張は、

  • 日本人には「愛」は伝わりやすいはず
  • なのに、伝わっていない
  • その理由の一つに「罪を責める」伝統が強すぎた可能性がある

というものです。

この部分は、宗教の伝え方・言葉の選び方に関する、かなり現場的な問題提起にもなっています。


指導の実例:自衛隊での「叱責法」と「称賛法」

話はさらに具体例へ進みます。

サムソンさんは、自身が元自衛隊で、幹部候補のような教育(共官コース)で「叱責法はダメ、称賛法がいい」と習ったと語ります。

そして実際に試した結果として、

  • 叱責法で育ったグループは、押し込まれて成績も低い
  • 称賛法で育ったグループは、目がキラキラして伸び、卒業後も進学・昇進した

という体験談が語られます。

ここから、動画の主張が一本にまとまります。

人は責められて動くのではなく、まず肯定されて動く。

これは信仰に限らず、家族、職場、子育て、どの人間関係にも刺さる視点です。


今日のまとめ:パウロを“正しく読む”とはどういうことか

この動画が伝えていることを、あえて短くまとめるなら次の3つです。

  1. パウロは素晴らしい。でも、読み方を間違えると人を追い詰める
  2. 正論(罪の指摘)だけでは人は動かない。人にはプライドがある
  3. 入口は「イエスの側に立つ」こと。助けを求める人を包む愛が中心

ローマ書を読むときも、
「罪の指摘」に引っ張られすぎず、
8章以降の“解放”や、“いのち”の方向へ読んでいく。

そして何より、
「責める信仰」ではなく「近づける信仰」へ。

そんなメッセージが、この対談から立ち上がってきます。


よくある質問(Q&A)

Q1. ローマ書は読まない方がいいの?

A. 動画の主張は「読まない」ではなく、受け取り方に注意という話です。罪の指摘だけで終わらず、希望や解放まで含めて全体で読む必要がある、という問題提起です。

Q2. 「悔い改め」は不要なの?

A. 動画では「悔い改めは正しい」としつつ、それ“だけ”になってしまう危うさが語られています。入口はまず「助けてください」とイエスに近づくことだ、という流れです。

Q3. 称賛法って、甘やかすこと?

A. ここでの称賛法は「褒めて終わり」ではなく、7〜9割肯定して、最後に少しだけ注文を伝えるという指導の方法として語られています。

おわりに:一歩でも「イエスの側」へ

対談の最後に語られる言葉が、この記事の着地です。

「教会に行ったら気持ちが良くなった」
「賛美歌が素敵だと思った」

——それだけでも、イエスは「あなたが私のところに来た」と言ってくださる。

完璧になってからではなく、
信仰が整ってからでもなく、

一歩でも、側に立つこと。

この優しい入口を、もう一度思い出そう。

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