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※本記事は、YouTube「中川TVチャンネル」の動画『後藤望牧師 パウロを語る』の文字起こし内容をもとに、会話の流れを崩さない範囲で読みやすく整理したまとめ記事です。宗教的な解釈にはさまざまな立場があるため、ここでは動画内で語られている主張として紹介します。

動画は、中川TVチャンネルの中川さんがゲスト(呼称:サムソンさん)を迎え、パウロについて語ってもらう対談形式で進みます。
サムソンさんは、神学生時代からパウロに強い関心を持ち、研究や原稿も「1冊、2冊分ある」と語ります。ただ、考えが少しずつ変化していることもあり、出版は「まだ早い」と感じているとのこと。
この対談の面白さは、単なる「パウロすごい」で終わらず、
“どう受け取ると、人を生かし、どう受け取ると、人を潰すのか”
という、かなり実践的な視点まで踏み込むところにあります。
サムソンさんは、「パウロが重く用いられてきた理由」として、まず言葉の性質を挙げます。
パウロはギリシャ文化圏の言葉で語るため、現代の私たちが読んでも理解しやすい。
さらに、その言語がローマを通じてヨーロッパ、そして世界に広がった歴史の上に、今の私たちの言語感覚がある。
だからパウロの文章は、現代の読者に「スッと入る」。
ここが、パウロが読み続けられる大きな理由だというのです。
動画で印象的なのが、12弟子との対比です。
12弟子は3年半、日常の中でイエスと共に歩みます。だからこそ、最後まで「主なる神への信仰」へ立ち戻れ、と語られる場面がある。
一方パウロは、出会いの入口が違う。
最初から“神としてのキリスト”に出会っている。
サムソンさんは、コリント第二の手紙にある「14年前に第三の天(パラダイス)に上げられた」という記述にも触れ、
パウロの強烈なキリスト理解は、体験の深さを前提にすると説明がつく
という見方を示します。
対談では、パウロへの評価は一貫して高いです。
「パウロは素晴らしい」「間違っていない」。
ただし同時に、こう言います。
受け取り方を間違えると、人を追い詰める。
その代表例として挙げられるのが、ローマ書の読み方です。
サムソンさんは、ローマ書の冒頭からの流れに注目します。
この構成について、「指導の方法としては最もやってはいけないやり方」とまで言い切ります。
なぜか。
それは、人を導くときに「責めること」から入ってしまうからです。
ここで出てくるキーワードが、
という教育・指導の話です。
動画の中では、かなりハッキリ言われます。
「お前が悪い」「罪だ」「間違っている」と言われ続けたら、心は閉じていく。
そして人は、正しい話ほど「うるさいな」と感じてしまう。
その理由として語られるのが、私たちの中のプライドです。
人にはプライドという厄介なものがある。正論だけでは、そのプライドが反発する。
対談では、プロテスタントの伝統として「まず悔い改め」「罪を悔い改めよ」が強く語られてきた流れにも触れます。
しかし、サムソンさんはこう問いかけます。
罪を悔い改めて救われた、と聖書のどこに書いてある?
そして、旧約の限られた例に触れながら、
新約では「泣きつく、頼る、すがる」——それだけで「助けてあげる」と言われている場面が多い、という見方を示します。
ここで中心に置かれるのが、アブラハムの話です。
アブラハムが「信仰の父」と呼ばれるのは、
立派な行いをしたからではなく、
それだけだ、という主張が語られます。
さらに、アブラハムにも問題のある行動があった(たとえば妻を妹と言った)ことに触れ、
それでも「信じた」ことが中心に置かれている点を強調します。
この流れは、
「完璧になってから神に近づく」のではなく、
「助けてください」と近づくことが入口なのだ、というメッセージにつながっていきます。
対談の中で、イエスの姿として繰り返されるのはこのイメージです。
「私が助けてあげよう」
この姿勢こそが、愛の力だと語られます。
だから結論は、こうなります。
間違えないでください。キリストの側に立てばいい。
「悔い改め」が間違いではない。
ただ、それ“だけ”になってしまうと、伝わるものが変わってしまう。
後半で語られるのが、日本人の感覚とキリスト教の関係です。
イエスの命令として挙げられるのは2つ。
サムソンさんは、3.11(東日本大震災)のときの人々の行動を例に、
「日本人は助け合い、秩序を守り、子どもや高齢者を押しのけない」
そうした姿が自然にできていた、と語ります。
ここから導かれる主張は、
というものです。
この部分は、宗教の伝え方・言葉の選び方に関する、かなり現場的な問題提起にもなっています。
話はさらに具体例へ進みます。
サムソンさんは、自身が元自衛隊で、幹部候補のような教育(共官コース)で「叱責法はダメ、称賛法がいい」と習ったと語ります。
そして実際に試した結果として、
という体験談が語られます。
ここから、動画の主張が一本にまとまります。
人は責められて動くのではなく、まず肯定されて動く。
これは信仰に限らず、家族、職場、子育て、どの人間関係にも刺さる視点です。
この動画が伝えていることを、あえて短くまとめるなら次の3つです。
ローマ書を読むときも、
「罪の指摘」に引っ張られすぎず、
8章以降の“解放”や、“いのち”の方向へ読んでいく。
そして何より、
「責める信仰」ではなく「近づける信仰」へ。
そんなメッセージが、この対談から立ち上がってきます。
A. 動画の主張は「読まない」ではなく、受け取り方に注意という話です。罪の指摘だけで終わらず、希望や解放まで含めて全体で読む必要がある、という問題提起です。
A. 動画では「悔い改めは正しい」としつつ、それ“だけ”になってしまう危うさが語られています。入口はまず「助けてください」とイエスに近づくことだ、という流れです。
A. ここでの称賛法は「褒めて終わり」ではなく、7〜9割肯定して、最後に少しだけ注文を伝えるという指導の方法として語られています。

対談の最後に語られる言葉が、この記事の着地です。
「教会に行ったら気持ちが良くなった」
「賛美歌が素敵だと思った」
——それだけでも、イエスは「あなたが私のところに来た」と言ってくださる。
完璧になってからではなく、
信仰が整ってからでもなく、
一歩でも、側に立つこと。
この優しい入口を、もう一度思い出そう。
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