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「嫌われる勇気・幸せになる勇気」を1度は読んだこと・聞いたことがあるのではないでしょうか?
私も流行った時に読んでみましたが、当時は理解できたことが少なかった印象。
マコなり社長のYouTube動画での解説を聞いて、「人や環境」のせいにしている他責思考や、劣等感、優越感を言い訳に行動しないコンプレックス状態に気づき、ハッとしました。
日頃から、下記でお悩みの方には有益な内容でおすすめ。
参考にした上記の動画は30分ありますが、記事で10分程度で読めるようまとめたので、ぜひご覧ください。
読んだ瞬間から、「承認欲求から解放」されて、人生を好転するのは難しいですが、捉え方や人生哲学にプラスになるのは間違いなし!
こんにちは!あいうえおLIFE(@pledge17uchs)です。
読みたい場所から、読んでくださいね。
目次もあるので、下記の気になるところからジャンプ。
今日はどうぞ最後まで、お読みくださいね。
累計600万部突破の大ベストセラーです。
哲学者と青年がアドラー心理学について、議論して理解を深めていく内容。
アドラー心理学は、全ての人類が絶対に無視することができないと断言。
誤解されがちですが、見えない力を信じる、信じないとかそういう次元のものではないです。
アドラー心理学とは、今この瞬間から幸せになるために、実践的にどのような態度で生きるべきかがテーマ。
上記を論理的に追求する姿勢に溢れています。
幸せな人生を望み、現実から目を背けないのであれば、必ずアドラー心理学を通ることは必至。
マコなり社長は、見えない力を信じるスピリチュアルなタイプではく、一時の感情で盲信するタイプでもありません。
極めて論理的かつ、批判的に考えようとするタイプ。
アドラー心理学は、めちゃくちゃ論理的で考え抜かれている分、「幸せに生きたいんだったら、そう考えるのがどう考えてもベストだよね」と納得せざるを得ないです。
他人の主張の矛盾点を見ることに自信があるマコなり社長も、ぐうの音も出ません。
大前提、アドラー信者なんて言葉を使う人は、アドラー心理学を正しく理解していない人。
何度読み直しても、論理的に正しいと感じるからこそ支持しています。
「嫌われる勇気」を読んだとしても習慣的に何度読み直している人はほとんどいないはず。
下記から、「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」を、マコなり社長の伝えたい大切なポイントをまとめていきます。
嫌われる勇気がすごいのは、アドラー心理学の研究哲学者の岸見さんとフリーランスライター古賀さんのタッグ。
岸見さんのカウンセリングを通じた実践的なアドラー研究に、古賀さんのリズム感ある対話形式の究極のライティングが掛け算されました。
十分に利便性の高い世界になりつつあるのに、人類はさらなる成長を追い求めて先行投資。
消費者も十分に満ちたりているのに、次々と新しいものを消費していきます。
不必要なものを作って、買って、自然を破壊して、格差が広がる現代に、幸福学の研究者で仏教の僧侶であるマチウ・リカール氏は下記を提言。
私たちは資本主義によって発展することができましたが、過剰な資本主義によって、今私たちが飲み込まれようとしています。
ブレーキをかけないといけない。
私たちはもっと1人1人が自分の幸せについて真剣に考えてみるべき時なんだ。
「嫌われる勇気」のアドラー心理学は、時代の転換点で誕生。
あなたは、この世の中で最も影響力があるものを知っていますか?
お金ですか、権力ですか?
「思想」こそが人類を発展させて、世界を変えてきました。
世界的なリーダーさえ、思想に縛られている。
極端な話ですが、「闘争こそが、人間本来の生き方だ」と思っていたら、戦争・奪略の戦闘民族になっちゃいますよね。
実際、「幸せになる」と信じて、銃を撃ちあっている人も有り。
アドラー心理学の思想を広げるということは、驚愕の売上を上げる企業を2つ作り上げること以上に人類にとって価値があると確信しています。
なぜなら、多くの人が幸せに生きることを真剣に論理的に考えるということに等しいから。
どんなビジネステクニックよりも価値があります。
アドラー心理学は、「目的論」という概念に納得することが最重要。
人間の全ての行動には目的があると考えること。
例えば、何年も引きこもって働きもしない男がいるとします。
その男が過去に学校でいじめを受けた経験。
できることなら働きたいと思っているんだけど、でも外に一歩でも出てしまうと動悸がして、手足がふるえる。
変わりたくても、変われない状況。
世間的な常識で言えば、この男は過去にトラウマがあるから外に出られないんだ、と考えますよね。
トラウマになった過去という「原因」があって、「結果」として不安を感じて、引きこもりになっているんだと。
なぜなら、過去に「こんな辛いことがあったから、今こうなっているんだ」という考えは、役に立たないから。
過去に囚われていても、何も前に進まないですよね。
過去の原因で、今の出来事を説明しようとするのは嘘。
学校や職場でいじめを受けた経験がある人は、全員が同じように引きこもりになる訳じゃありません。
「過去にこんなことがあったから、今こうなんだ」という考え方は役に立たない、かつ嘘です。
アドラー心理学では、過去の原因ではなく「今の目的」を考えます。
先ほどの「引きこもっている男」の例でいえば、過去に辛いことがあって、不安で外に出られないのではありません。
逆です。
「外に出たくない」という目的があって、不安という感情を捏造。
本書では、生徒役の青年は、アドラー心理学の非常識な考え方を説く哲学者にブチギレます。
は!ご冗談を!ありえません!そんな議論はオカルトです!
※記事の最後に、青年のブチギレ暴言集まとめました。
実際の所、「原因と結果」という関係は間違いなく存在。
とはいえ、人間が介在しない物理の世界の話です。
もし、人間が「原因論に基づく主張」を語れば、役立たずかつ嘘です。
アドラー心理学は、現実的に今から自分の人生をより良い状態を目指す姿勢を貫いています。
ヤンキーが道を歩いていて、スマホをいじって歩いていたサラリーマンが肩をぶつけてしまったとします。
ヤンキーも「おい!てめーふざけんじゃねーぞ」と。
急に沸点を超えて、ブチ切れて胸ぐらつかんで睨みました。
上記の出来事の後、本人に「なぜキレたか?」と聞くとヤンキーはこう言うでしょう。
相手がぶつかってきたからだよ。
マジいらつくわ、ナメやがって。
まるで、不可抗力で感情的になって、キレたかのように説明するでしょう。
とはいえ、上記は間違いです。
当人は無自覚ですが、胸ぐらをつかんで、睨むためにキレたんです。
ヤンキーの目的
相手を威圧することによって、自分が優位な存在だと示したい。
上記のために「怒り」という感情を捏造しました。
実は、怒りや悲しみというような感情は出し入れ可能な道具。
上記の事実が認められないのであれば、「人間というのは、目の前の出来事によって感情を不可抗力で動かされてしまう、感情に支配されて動くしかない」ということになります。
人生は、過去の出来事から感情を動かされて、感情的な衝動で生きるものだとしたら、どうでしょうか?
マコなり社長は、上記はすでに呪われた生き方と言います。
もはや、感情の奴隷人形だと。
アドラー心理学は、人間の感情を否定した冷たい思想ではないです。
むしろ逆で、温かい。
アドラー心理学こそ、「人間は感情に支配されず、過去にとらわれず前を向いて生きていくことができる」と信じる立場を取っています。
「オレ、いつか起業してこんなビジネスやるんだ」と言ったり、ビジネスの論評ばっかり偉そうにしているくせになかなかやらない人。
上記は、起業しないことによって、「やればできるという可能性を残しておきたい」ということが目的なんです。
「目的論」という考え方は、ハーバード大学の教授が30年の研究を基に書いた、「なぜ人と組織は変われないのか?ハーバード流自己変革の理論と実践」に書かれている内容にとても似ています。
裏の目的を明らかにして、「固定観念」を捨てなければ人は変わることができません。
行動 | 裏の目的 | 固定観念 |
---|---|---|
部下についつい高圧的な態度を取ってしまう | 高圧的な態度をとることで、自分が優位な存在だと示したい | 高圧的な態度でしか優位性を示すことができないという考え方 |
現代の科学的な研究結果と、19世紀で科学が未発達な時代のアドラー思想哲学が同じ結論になっているというのは、興味深いですよね。
幸せに生きることを真剣に考えるならば、「自分の人生のあらゆる感情・行動には、目的がある」ことを認めないといけません。
上記は、「自分の人生を、全て自分の責任」と捉えて主体的に生きていくことに等しいです。
7つの習慣で言えば、パラダイムシフトとインサイドアウト(当ブログに解説記事あります)。
>>【7つの習慣】マコなり社長の解説【人生が劇的に変わる本】YouTube即ポチ
あなたはやろうと思っているけど、言い訳を続けて、やれていないことありますか?
行動しない「裏の目的」や固定観念は何でしょうか?
自分に自信がないんですが、どうしたらいいですか?
上記は、マコなり社長がよくもらう相談の1つです。
劣等感を感じるのは悪い状態だと考えられがちですが、劣等感自体は悪いものではありません。
誰にでもあります。
なぜなら、人間には「無力な状態から脱したい」という普遍的な本能欲求があるから。
アドラー心理学は上記を「優越性の追求」と呼びます。
赤ちゃん〜大人までの成長過程で、今より良い状態を目指そうとすることで、成長できましたね。
優越性の追求があるからこそ、「ああ、自分はまだまだだ」という劣等感を感じる。
上記は、自然なこと。
問題なのは、自分の劣等感を行動しない言い訳に使い始めたときです。
例えば2つの主張を上げます。
上記の主張どう思いますか?
いやいや、ただの事実でしょうと。
「学歴は、年収に影響する。容姿がモテる・モテないに影響する」というのは、言い訳でもなんでもなくて、ただの事実でしょう。
上記のように言う人もいますし、確かに統計的な傾向はあるかもしれません。
だからといって何なんでしょうか?
先ほどの目的論と同じです。
何の役にも立ちません。
学歴がないから年収が上がらないと主張する人は、裏を返せば学歴があれば年収が上がるということになりますね。
劣等感を言い訳にする人の目的
劣等感を言い訳に行動をやめてしまった人を、アドラー心理学では劣等コンプレックスと呼びます。
劣等感を言い訳にし続ける人がこじらせていくと、優越コンプレックスにつながっていきます。
必死で「私はこんなにすごいんだぞ」と自慢する人というのは、劣等感を感じています。
他には、自分を大きく見せようと必死な人。
さらにこじらせていくと、「不幸自慢」をするようになります。
自分に降りかかった不幸をしきりに語って、他者が慰めようとすると、「あなたには分からない」とはねのけて、自分がいかに特別に不幸な状態なのかを必死にアピールする。
上記をすることで、特別な存在に見られたい。
とはいえ、現状をより良くしようとする健全な劣等感は人生に活力を与えます。
過剰な劣等感は、行動を止めてしまう「劣等コンプレックスや」自分を大きく見せる「優越コンプレックス」を招いてしまう。
要は、劣等感を強めすぎないことがポイント。
理想は100点なんだけど、今は20点しかない。
ありのままの普通の自分を認める勇気です。
山を登る例が1番分かりやすいです。
山登りが好きな人が、ボタン押したらいきなり山頂にワープできたら、毎回ボタンを押して山頂に行くでしょうか?
押さないですよね?
何の面白味もないので。
山登りは山頂に辿り着くプロセスにこそ価値があるんです。
過度な劣等感を持った状態というのは、山頂にいない自分は価値がないと考えること。
私たちが理解しないといけないのは、「どんな人間も、常に道半ばであり別の山を登っているということ」です。
自分より遥かに上にいるように見える人間も、その人なりにその人だけの山を登っている途中。
みんなで1つの山を登っていると考えるのは、「錯覚」です。
錯覚
自分が劣等感を感じるのは、登るべき山が残っているということ。
人生を楽しむことができる余地があって、喜ぶべきことなんです。
「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」は、オーディオブックで聞くのもおすすめ。
マコなり社長はこれまで、「事実無根の誹謗中傷・人格否定もたくさん受けた」と言います。
とはいえ、上記をする人は相手にしないようにしています。
アドラー心理学で言うと、権力争いを仕掛けてきているだけだから。
攻撃することで、自分の力、自分の価値を示したいんです。
どんな場面でも相手の権力争いに乗ってはいけません。
戦うことが相手の目的だから。
自分の正義を相手に押し付けた瞬間、終わりです。
たった1つの正義を主張することは、権力争いに乗ることになります。
SNSで執拗に変な人に絡まれたら反論したらいけません。
自分の反論がどんなに正しい主張だとしても、相手はむしろ喜んでしまいます。
戦いを望んでいる状態。
もちろん事実無根の嘘であれば、事実を伝えるのが良いでしょう。
家庭や職場のリアルな人間関係で権力争いを挑まれると、逃げられなくて厄介です。
対面で執拗なことをしてくる相手に対して、何もリアクションを返さないというのはかなり忍耐が必要。
現実的にはお互いの幸せのために第3者を交えて冷静に話し合う。
関わらなくていいように距離を置くしかないでしょう。
くれぐれも権力争いには乗らないでください。
執拗なことをしてくる相手は、ケンカが目的です。
アドラー心理学では、「縦の関係を作るな、横の関係を作ろう」と言います。
人間関係において、どっちが上か下かなんて判断してはいけない。
「権力争い」上下関係を決めようとする、誤った人間関係の認識から生まれます。
私は、私のことを嫌いな人を愛する勇気を持とうと決めています。
もちろんお互いのために距離を置きますが、私のことを攻撃する人も、幸せになりたいと願う1人の価値ある人間。
見下すわけでもなくて、ありのままの存在を受け入れる。
この世界に敵はいないんです。
違いを受け入れて、人を愛する勇気が試されているだけ。
自分との戦いがあるだけなんです。
誰もが人から承認されることは、幸せな人生だというイメージを持っています。
アドラーは、他者から承認を求めることを否定します。
私は、この主張を見たとき、どういうこと?と衝撃を受けました。
承認を求めるなってどういうこと?
やっぱアドラー極論すぎるわと、思ってたんですが、落ち着いて考えてみると分かってきました。
承認を求めるということは、「承認されない行動には価値がない」と考えるに等しいです。
例えば、趣味と異なり、必死で考えた誕生日プレゼントが満足していなかったとします。
プレゼントを選んだプロセスは無価値だったんでしょうか?
相手の期待を満たせなかったらガッカリするのは、ごもっとも。
「絶対に否定できない」世の中の真実は下記。
他人の期待を100%満たすことは、絶対にできない。
相手に承認されないと価値がないと考えていると、永遠に他人の期待を満たすために生きていくことになります。
相手がどう思うかで一喜一憂して、苦しみ続ける人生を送ることに。
他者の承認は求めてはいけないんです。
マコなり社長は、「人を幸せにする機会をつくろう」と語っています。
実は、「人を幸せにする」とは絶対に言わないようにしているとのこと。
「私のおかげであなたは幸せだろう」というのは押しつけがましい。
期待を満たせないことで、一致一憂するわけにはいかないからです。
他人の期待を満たす努力をすること自体は大切な事。
事業やっていてお客様の期待を満たすことを全くやらないスタイルだと、そんな会社は潰れますよね。
他人の期待を満たす努力自体は素晴らしいんですが、最終的な結果はコントロールできないと割り切っておかないといけません。
他人の感情をコントロールできると思う方が傲慢な態度。
ぼくたちが出来ることは、ひたすら自己満足に他者貢献することなんです。
「相手がどう思うか?」で自分を評価するんじゃなくて、他者貢献しているという行動に自己満足すべき。
馬を水辺に連れて行くことはできるが、飲ませることはできない。
上記は「嫌われる勇気」に紹介される言葉の中で、最もキャッチーなものです。
馬を水辺に連れて行くことはできるが、飲ませることはできない
意味:他人の課題に干渉せず、機会を与えることに徹するということ。
対人関係の悩みを消すためには、自分の課題と他人の課題を切り分けて考えるべし。
自分と他人どっちの課題なのか見極めるには、その課題で最後はどっちが困るかを考えるのがオススメ。
私たちは他人の課題に対して、介入しまいがち。
自分のことを嫌いな上司が、理不尽に怒鳴りつけてくるとします。
ストレスがたまる、イライラする、理不尽に怒鳴りつけてイライラしているのは上司の課題で、自分の課題ではありません。
自分の課題は、自分の仕事で結果を出すことだけのはず。
上記だけに注力すればオッケイ。
時には人を教育しなきゃいけない場面もありますよね。
上司や先生という立場じゃなくても、他人を自分の信じる正しい場所に導きたい時もある。
とはいえ、他人の課題に介入したらいけない、どうするか?
上記の解決は、「馬を水辺に連れて行くことしかできない」というのがポイント。
機会を与え続けることしかできないんです。
機会を与えても、何も変わらないかもしれない。
導きたい人がいれば、水辺に連れて行くことだけに徹しましょう。
人はいつからでも幸せになることができます。
上記の態度でいたら当然他者に嫌われるでしょう。
それでいいんです。
みんな大好きなディズニーランドが嫌いな人います。
全ての人を満足させようとするのは無理。
全ての人を満足させようとするのは、八方美人になって仮面をかぶって良い顔するということです。
「人の期待を満たそう」とする生き方は、自分と他人に嘘をつき続ける自己中心的な生き方だということ。
一定数嫌われることを覚悟しなければ、前に進むことができません。
嫌われない限り、自由はありません。
世界がとても自由に感じる
他人の期待を満たす生き方を辞めると世界が激変。
私は他人に何と言われても、自分がやると決めたことをやると決めています。
とはいえ、嫌われることを恐れず、「自由にやりたいことをやるんだ」という姿勢で注意することは下記。
一歩間違えると、非常識なことをして注目集めようとする、悪い意味で他人の期待を満たそうとする生き方になりかねません。
他人に嫌われることが目的になってはいけないんです。
自由に幸せに生きると、結果的に一定数他人に嫌われることは起きるんだと理解しておくことが大切。
アドラー心理学では、人生の指針として「導きの星」というのを掲げます。
旅人が北にある北極星を見て旅をするように、私たちの人生にも目指すべき星がある。
人生悩んだら、道に迷ってしまったら、この星だけを見ればいい、この星に向かって進み続けることができれば必ず幸せになれる指針。
導きの星とは他者貢献です。
どんなときも、ひたすら他者に貢献する。
他者の期待を満たすためでなく、自分が他者貢献感を感じるために、相手の立場に立って、全力で他者貢献すること。
上記が幸せを願う人が、進むべき方角なんです。
導きの星を目指しながら、とても大切な態度があります。
過去に囚われず、未来に絶望することもなく、他者の期待を満たそうともせず、ただ今これからどうするかだけに集中すること。
今この瞬間からの行動によってのみ、人生は変化していきます。
「私は、これからどうするか?」という言葉をとても気に入っていて、日常の中やYouTubeの動画でよく使っています。
何か悪いことがあっても、「まあ、良し。これからどうするかだよね」とよく言っています。
他者貢献という導きの星に向かって、これからどうするかを考えること。
起業して数年後、どこに向かえばいいかよくわからなくなっていた時期がありました。
アドラー心理学に出会い、「他者貢献」という導きの星が見えた時、これからどうするかを考えるだけだと気づいた時、世界が一変しました。
価値観のパラダイムシフトが起きたんです。
マコなり社長の気づき
もう人生で悩むことがない。
「私は、貢献に徹することができればいいんだ」。
とはいえ、アドラー心理学は知るだけで救われる、あらゆる悩みから解放される、一発で全て変わる、という性質のものではないんです。
気づけば導きの星はどこやら。
「これから、どうするか?」を考えられなくなる時が来ます。
向き合い続けないといけません。
過去のトラウマのせいにして、他人のせいにして、他人を評価して他人の課題に踏み込んで、他人の期待を満たして生きていくのは実はとても楽なこと。
上記は、自分で考えなくていいから楽なんです。
気づかない内に、短期的な楽を求め続ける中毒状態に。
アドラー心理学を学び、幸せの本質を理解して導きの星がハッキリと見えて、これからどうするかだけを考えようと決意してもまた中毒状態に戻ってしまうんです。
あなたは、短絡的な楽に逃げてしまってはいないでしょうか?
覚悟は決まっていますか?
YouTubeや事業を通して、幸せに生きる覚悟を決めた人を増やしたい。
これからもあなたと一緒に幸せになる勇気を持って、生きていけると嬉しいです。
アドラー心理学の本質=「他者貢献」という導きの星に向かって、これからどうするかを考える。
上記を追求することができれば、私たちは幸せな人生を生きることができます。
勇気を持ち続けないといけませんが、いつからでも人は幸せになれる。
アドラー心理学は、生涯を通じて体現し学び続ける哲学です。
嫌われる勇気シリーズでは、青年の哲人に対するリアクションがたまらないですわ。
本書では、哲人が木っ端微塵に、青年の思い込みや常識を破壊していきます。
青年は、厨二病が入ってて、議論しながらブチ切れてしまう。
マコなり社長も中二病!?関連記事は下記。
嫌われたくないし、人のせいにしがちなんだよな…
上記のお悩みについて解答しました。
人生における感情や行動の目的を明らかにして、他者貢献に向かって、幸せにする機会を作ることに徹することでしたね。
まとめ
嫌われる勇気も、幸せになる勇気どちらも、自分との向き合い方次第で人生が好転しますね。
マコなり社長おすすめの他2冊も超おすすめ。
それでは、今日はここまで読んでいただきありがとうございます!
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